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にこにこ人生読書ノート

にこにこ人生読書ノート

吉川英治さん

『宮本武蔵 (一) 』                     ★★★★★
  吉川英治  講談社
・闘争即菩提 闘争即是道
・「アア、愉快。・・・自分が天地か、天地が自分か」
・「人間の心なんて、実は弱いものだ。決して孤独が本然なものではない」
・淋しいという心は飢えと同じだ。皮膚の外のものではない、そこに、満ち足りないものを感じる時、さびしさが身に迫る。
・「おぬしには生まれながらの腕力と剛気はあるが、学問がない、武道の悪いところだけを学んで、知徳を磨こうとしなかった。文武二道というが、二道とは、ふた道と読むのではない。ふたつを備えて、一つの道だよ」
・人間五十年、化転のうちをくらぶれば、夢まぼろしの如くなり
・「それほどに、お身の一歩一歩には争気がある、覇気がある。当然わしもそれに対して、心に武装を持ったのじゃ。あの殺気は、つまり、影法師じゃよ。自分の影法師に驚いて、自分で飛び退いたわけになる」


『宮本武蔵 (二) 』                     ★★★★★
  吉川英治  講談社
・死生一如
・「お前さんに教えることといえば、強過ぎるということしかないよ。だが、その強さを自負してゆくと、お前さんは三十歳までは生きられまい。強いが兵法などと考えたら大間違い」
・「ほんとの武者修行と申すのは、そういう武技よりは心の修行をすることだ。海内隈なく脚で踏んで心で観て歩くのが、武者修行というものだよ」
・一人対一城
・無明の道 有明の道
・山川無限
・武蔵は、釘に対しても、勝敗を考えるのだった。(釘は明らかに、上を向いて落ちていたのだ。それを踏みつけたのは、自分の目が虚であって、心が常に全身に行き届いていない証拠だ。…また、足の裏へ突きとおるまで踏んでしまったことは、五体に早速の自由を欠いていたからで、ほんとの無碍自在な体ならば、草鞋の裏に釘が触れた瞬間に、体は自らそれを察知しているはずである) 剣と体とがまだまだ一致しない。
・善哉!満足満足。
・剣は理屈じゃない、人生も論議じゃない、やることだ、実践だ。
・病もまた人間にとっては強敵だ。こいつを調伏する剣は何か?


『宮本武蔵 (三) 』                     ★★★★★
  吉川英治  講談社
・よく強がった侍が、念仏のようにいう、必死とか、覚悟などという言葉も、武蔵の考えからすると、取るに足らないたわ言のように思える。およそ人なみの侍が、こういう場合に立ち至った時、必死になることなどは、当然な動物性である。覚悟のほうは、やや高等な心がまえであるが、それとても、死ぬ覚悟ならば、そう難しいことではない。どうしても死なねばならぬ事態に迎えられてする死ぬ覚悟だとすれば、なおさら、誰もすることである。彼がなやむのは、必死の覚悟が持てないことではなく、勝つことなのだ。絶対に勝つ信条をつかむことである。
・もう一息というところの苦しさは言語に絶したものだった。それはちょうど、斬るか斬られるか、力の互角している剣と剣との対峙に似ている。「ここだ。寸前だ」
・世間のすべてがどういおうと、自分を信じてくれる者は一人でいい。
・貞操とは、心のことだ。
・われ事において後悔せず
・(不覚!)と気がついたときが、もうその不覚を身に受けていた時だった。最初から、勝つことも敗けることも考えていなかったに違いない。至って体も敏捷でないこの老婆の刃向かいなどは、彼の意識にも入らないのが当然でもあった。しかし、それがそもそも不覚というものではあるまいか。
・人間の衰凋は、その人間にはわからないのが世の中の常
・勝った後のさびしさ
・…敵の相を剣のさきへおいて、自分が無我になった時…自分と天地がひとつの物になったような気持…いや気持などというものさえ失くなった時、剣はその敵を斬っている。
・動は静から生じるもの
・道…芸の真髄…何事も達すると同じもの
・「作法が茶事ではない、作法は心がまえ」「心がまえに、肩を凝らしては、せっかくの茶味が損じまする。剣ならば、体ばかり固うなって、心と刀の円通というものを失うでござりましょうが」


『宮本武蔵 (四) 』                     ★★★★★
  吉川英治  講談社
・刃物を持った人間はそう怖いものではないが・・・しかし、刃物に持たれている人間は怖い。
・無智はいつでも、有智よりも優越する。相手の知識を、恬として無視し去ってしまう場合に、無智が絶対につよい。生半可な有智は誇る無智へ向って、施すに術がない。
・即智
・天地が自分か、自分が天地か、
・不即不離 阿吽の呼吸
・「多艱に克ち、忍苦を求め、自分を百難の谷そこへ捨ててみねば、その修行に光はついて来ないのだ」
・真に生命を愛する者こそ、真の勇者である。


『宮本武蔵 (五) 』                     ★★★★★
  吉川英治  講談社
・「いいじゃないか、五年道草をくったら、五年遅く生まれて来たと思うのだ。だが、考えようによっては、その五年の道草も、実は尊い修行であったかもわかるまいが」
・「樹にも心があるんです。よく御覧、この山の樹々のうちにも、よく見ると、独り楽しんでいる樹もあるし、独り傷ましそうに嘆いている樹もある。また歌を謡っているのもあれば、大勢して、世を怒っている樹の群れもあるでしょう。石でさえ、聞く人が聞けば物をいっているというくらいですもの、なんで樹にもこの世の生活がないといえましょう」
・畢竟、人間は人間の限度にしか生きられない。自然の悠久は真似ようとて真似られない。自己より偉大なるものが厳然と自己の上にある。それ以下の者が人間なのだ。・・・ばか、なぜ人間が小さい。人間の目に映って初めて自然は偉大なのである。人間の心に通じ得て初めて神の存在はあるのだ。だから、人間こそは、もっとも巨きな顕現と行動をする。おまえという人間と、神、また宇宙というものとは、決して遠くない。いや、そんな差別があるうちはまだだめで、達人、名人の域にも遠い者といわなければなるまい。
・腰!
・剣術。それではいけないのだ。・・・剣道。飽くまで剣は、道でなければならない。剣を「道」とよぶところまで、この一身に、徹してみることだ。



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